お待たせしました~!
2012年10月7日(日)の「SUPER FESTIVAL 60」にて行われました
「仮面ライダー」仮面ライダー1号/本郷猛 役
藤岡弘、氏のスペシャルトークショーとサイン会&握手会
の様子をバンダイファッションネットblogにて2回にわたり一挙公開いたします!!
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それでは藤岡弘、さんトークショー記事スタートです!!
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トークショーは藤岡氏のファンの皆さんで満員となりました。
さすがの人気ぶりです。
今回も司会はお馴染み、木原氏です。
藤岡氏と木原氏の熱い対談からは仮面ライダーへの愛がとても伝わってきました。
★本日はスーパーフェスティバル60回目、20周年ということで
原点に返るという意味も込めて初代ヒーローの藤岡さんに来ていただいたのですが
初めて仮面ライダー1号に抜擢されたときの感想はどのようなものでしたか?
藤岡氏:
当時、私は松竹ニューフェイスで青春映画の主役を頂いていましたが、
もっと違った方向の演技でチャレンジしてみたい、という思いがありました。
そんな中でアクションのお話をいただき、そこで自分の可能性を試してみたかった。
とは言ってもアクション演技などやったことはなく、不安はたくさんあったのですが
自分の中で何か感じるものがありました。
私は”自分の感覚”というものをとても大事にしていて、それに期待していました。
それが仮面ライダーだったんです。
★今は人間として演じるシーンとアクションとして演じるシーンと当たり前に分かれていますが
当時は1人で両方こなされていましたよね。
それは自主的にやったの初めからそのような設定だったのかどのような流れでそうなったのでしょうか
藤岡氏:
初めから1人で2役こなす流れになっていましたし、アクションが肝になっていたので
とにかく何が起きてもやり遂げるしかないと思っていました。
もちろん不安でしたが”挑戦しよう!”という心構えで入っていきました。
★仮面ライダーとしての藤岡さんの演技の中に、
以前から習われていた武道の形が取り入れられていると思うのですが
これは初めから演技に取り入れるつもりでいたのですか?
藤岡氏:
使えるとは思っていませんでした。
スタントマンのみなさんの下で擬闘というものを初めて体験しました。
擬闘ができることで映像に迫力が出るということも初めて知りました。
彼らに一から手ほどきを受けて、教えていただきました。
★武道とは全く異なる擬闘を覚えることは戸惑いませんでしたか?
☆戸惑いではなく感動しました。
派手に動きながら大きく身体を使うと、映像に迫力が増す。
それがとても感動でしたね。
初めてのことに挑戦するとき、私はとてもワクワク・ドキドキします。
それは今も同じです。
今もまだ挑戦の途中です。
これからも色んなものに挑戦していこうと思っていますよ。
★当時は漫画の連載がTV放送に追いついていなかったので仮面ライダー・本郷猛とはどんなものなのかよくわからないまま番組が始まったと思うのですが、藤岡さんは本郷猛をどんな人物として演じられていましたか?
藤岡氏:
当時私は東京に来て多くのプレッシャーと劣等感と、
大都会の競争とスピード、あらゆる人間の中で葛藤していました。
そんな中で仮面ライダーと出会って、日常の自分の思いをぶつけてもいいんじゃないかと思っていた。
つまり私にとって大都会そのものがショッカーだったんですよ。
新人だった自分としては、全てを叩きつけていこうという思いで挑戦しました。
「逃げるな」・「負けるな」・「屈するな」・「諦めるな」という気持ちでした。
★田舎から出てきたばかりで演じていたとおっしゃっていましたが、
私たちが見た当時の仮面ライダーは、バイクに颯爽と乗ったとてもスタイリッシュな印象でした。
藤岡さんが本郷猛を演じるにあたってこれこが本郷猛だ!と思えるポイントは
どこだったのか教えていただけないでしょうか
藤岡氏:
当時は衣裳も自前だったんですよね。
お金もなかったし、バーゲンを見つけては衣裳を揃えていまいした。
スーツが必要だということになって私が1つだけ持っていたのが
劇中で着ていたダブルのスーツだったんですね。
あれ1着しかなくて着てたんです。
みんなにダブルのスーツで二輪に乗るなんておかしいだろうと言われて、
これしかないからいいじゃないかとやり通した結果が
あのダブルのスーツなんです。
私は当時食うか食えないかの状況でアルバイトもしていましたし、
背水の陣の状況でした。
自分としては衣裳も最善を尽くそうという結果があのダブルのスーツだったんです。
★先日、打合せをしたときに故郷では“虎殺しの藤岡“と呼ばれていたとおっしゃっていましたが、
“虎殺しの藤岡“がどんなきっかけで俳優になろうと考えたのですか?
藤岡氏:
私は高校時代、柔道部のキャプテンをやっていました。
家は貧しい状況で、あらゆるものにハングリーでした。
その自分の心の持って行き場が武道場だったんです。
自分の心の葛藤を武道場でぶつけていました。
そんな姿をみんなが「虎殺しだ」と言い出したんです。
ちなみに私の親友は「牛殺しだ」と言われていたんですけど(笑)
高校では武道の相手がいなくなって親友と大学まで相手を探しに行ったりしていました。
★そこからどうして俳優になろうと思ったんですか?
藤岡氏:
映像に魅せられたんです。
田舎っていうのは色んなものが限られてるんですよね。
夢を追おうとしても先が見えてるっていうか、がんじがらめ、
周りも先も見えてくるし、自分はもっと自由奔放に可能性を試したかった。
そんな中で映像っていうのは唯一、自分に夢を与えてくれる材料だったんです。
だから学校をサボってまで映画に全部つぎ込む毎日でした。
その頃丁度海外からウエスタン物やフランス映画とか
たくさん映画が入ってきてますます映画にはまっていきました。
そうしているうちに我慢できなくなって自分が映像の世界に入りたいと思うようになったんです。
★やがて体つきや、作品の世界観など仮面ライダーという作品が合っているから、
当時田舎から出てきたばかりの藤岡さんに依頼が来たのですか?
藤岡氏:
そうかも、わかりません。
★仮面ライダーに挑む前にプロデューサーや監督など周りから求められた
仮面ライダーへのイメージとはどんなものだったのか覚えてらっしゃいますか
藤岡氏:
仮面ライダーは一人で孤独に戦う戦士、自分が改造されたことも一切誰にも喋れない。
一人で戦い続ける孤独なヒーローである、と聞いたときこれは大変なものだと思いました。
その孤独感が私の初期の演技では出ていたと思うんですが。
仮面ライダーは自分との戦いをしているんだな、と考えたんです。
そのとき”自分と似てる”と思いました。
自分が感じていた孤独な部分が仮面ライダーにオーバーラップして、
これはやりやすいなと感じました。
自分の心情とぴたっと合ったところがとても嬉しかったですね。
(仮面ライダーを見ると)当時の自分を思い出します。
→→→第二段トークショーブログへ続きます、お楽しみに★